僕のコロナ感染日記

コロナに感染し発症してしまいました。
感染から闘病、快復に至るまでの経緯を日記風に著しています。

10月5日

朝、娘が喉の痛みを訴える。

この頃学校でコロナが流行りつつあった。

平熱だったが大事をとって休ませ、近所の町医者へ。

診断は「風邪」。但し発熱したら「発熱外来」を受けるようにと、医師からアドバイス。

この時はまだ楽観的だった。

夕方娘の熱が上がる。38.4°C。悪い予感がする。


10月6日

娘の熱は下がっていたものの、医師の勧め通り発熱外来へ。

コロナ検査の結果、「陽性」。娘は自宅隔離生活。

(その後娘は一度も熱は上がらず経過は順調。12日から学校復帰)

自分は「濃厚接触者」になってしまった。

仕事先に連絡。近々の予定をキャンセル。正直痛い。


10月7日

残りの家族は明日PCR検査を受けることにする。

喉が痛い。痰も多く出る。熱は平熱。

気温が急に涼しくなったせいかもしれないが。風邪か、もしかして・・・。


10月8日

今日は土曜日。近所のPCR検査場へ。

結果は明日「LINE」で。

休日なので検査場は限られる。

病院は発熱していない限り検査してもらえない。

微熱が出る。痰も相変わらず。気のせいか倦怠感がある。

「コロナかも」妻に相談する。反応は「半信半疑」という感じ。


10月9日

日曜日。朝から怠い。頭、関節が痛い。起きているのが辛い。

午前中横になっていると、結果が出た。


自分だけが「陽性」だった。

休日なので医療機関は閉まっている。東京都陽性者登録センターに自ら登録。

我が家は4人家族。陽性者二人の看病を妻にさせるのは忍びない。またこれ以上家族感染を増やす訳にはいかない。

妻にも相談して、「宿泊療養施設」で隔離してもらうことを決意した。

東京都福祉保健局の相談窓口にその旨を連絡する。

体調がどんどん悪くなる。

食欲もない。それでも無理に食べた。

その日夕方、宿泊施設決定の連絡が折り返してきた。明日から隔離。

肉体的に辛かったが宿泊の準備を始める。

さらに体調悪化。

風呂に入る前、寒気を感じて体温を測ると38.4°C。

42°Cの湯舟に入って、無理やり寒気をごまかす。

湯冷めする前に布団に入る。長い一日だった。


10月10日

朝熱は下がっていたが、頭痛、関節痛、倦怠感、痰。

良くなったのは喉の痛みぐらいか。

食欲は相変わらずないが無理して食べる。

そういえばここ2日間「通じ」がない。腸が動いている気配がない。

福祉保健局は宿泊療養施設へ行くための「車」を手配してくれた。出発は午後2時。

時間通り迎えが来た。相乗り云々聞いていたので、マイクロバスでも来るのかと思っていたが、普通のタクシーだった。

しかし車中は普通ではなかった。後部はビニールでしっかり目張りされ、空気清浄機と思われる装置が床に取り付けてある。その装置からノズルが伸びて後部シート真ん中手前で「シューシュー」音をたてている。

道中事故渋滞に嵌る。勘弁してくれよ。

午後3時ごろ、施設に到着。都内の某ビジネスホテル。

あてがわれた部屋に入ると、内線でスタッフから施設の注意事項や食事の決まりなどを伝達される。

その後看護師にバトンタッチされる。

まず所定の部屋にある血圧計で血圧を自分で測定する。

自室に戻ったら、自前で用意した体温計で「体温」、貸与されたパルスオキシメーターで「酸素飽和度」「脈拍数」を計測する。

これら測定値をスマホを使って専用サイトに入力し、看護師はリモートで看護するシステムだ。

この他にも症状についての質問が箇条書きされ、あてはまるものにチェックする。

熱が高く食欲も不振だったので、夕食後もう一度計測。

結果「ゼビュディ」という新薬投与を勧められる。発症から7日以内なら重篤化を防ぐ効果があるそうだ。

明日受けることにした。

「カロナール」を処方される。37.5°Cあった体温が一気に平熱に。久しぶりにぐっすり眠れた。


10月11日

朝体調に変化なし。平熱。

今日は「ゼビュディ」投薬のために、都内某所の施設に一泊する。

当たり前だが普通のホテルで医療行為は出来ない。熱がぶり返さないうちに支度しておく。

朝食も昼食も完食できない。しかし決してまずいお弁当ではないと思う。食欲不振だけが原因か?

酷い下痢をした。カロナールのせいか?しかしお腹はスッキリ。

午後になって手配されたミニバンで移動。この車両も目張りされていた。

ところで施設から車、車から施設に移る際、陽性者が外気に触れるのを最小限に抑える努力が徹底されている。

行った先はプレハブで仮設病院の様相だ。病床はパーティションで区切ってあり、出入口はカーテン。

別棟もあったから病床は相当なものだろう。しかし患者は自分を含め10人もいなかったようだ。

体調のチェックを受ける。オキシメーターと心電図の送信機を体と指にくっ付けられた。正直邪魔だ。

投薬まで暇をつぶす。持ってきた文庫本ジェイムス・P・ホーガン著「ガニメデの優しい巨人」を読む。

ここ数日何とも目まぐるしい。病身で辛いのは確かだが、寝ているだけで退屈するよりはましかな。

医師からの説明を受け「ゼビュディ」の投薬を開始。なんと点滴薬だ。十数年ぶりの点滴。看護師さんは点滴があんまりうまくなかった。

もう夕食どきだった。看護師さん、点滴したまま食べても良いという。

いやいや針はちょっと痛いし、管や線がいっぱい体に繋がってそれは無理。

点滴終了後、夕食。あまり美味しくなかったが完食出来た。

徐々に快復の兆し。

9時消灯。後は寝るだけだが、全然眠れない。実は昼から鼻水、痰、咳がひどくなっていたからだ。


10月12日

7時、起床というか室内灯が点灯する。

体調チェックの後、軽めの朝食。完食。

後は昼までずっと経過観察。

頭痛、関節痛は消えた。倦怠感もほぼなくなった。

痰は相変わらず。咳もよく出る。鼻水も。

お昼を食べて、プレハブ病棟を後にした。出発組は自分が最後だった模様。

ホテルに到着後一息ついて、風呂に入ることにする。

なんだか手足が冷えるので、ユニットバスに湯を張りゆっくり浸かったらのぼせた。

アメニティグッズに洗剤があった。パンツ、靴下、Tシャツを洗濯。

夕食をまた少し残してしまった。

痰、咳、鼻水がまだ出る。眠りは浅い。


10月13日

それでも朝方眠れた。まぁ「食っちゃ寝」生活だから辛いわけではない。

鼻が通った。当然痰、咳も出なくなる。

そしてあることに気付いたというか、確信した。

嗅覚が麻痺している。

薄々気付いていたが、鼻が詰まっていたので確信が持てなかったのだ。

味覚は無事の様だが、まず支給される弁当の匂いがしない。

持ち込んだワンドリップコーヒーの香りがしない。ただ苦くて渋い黒い湯を飲んでいる気分だ。

ユニットバスに行き、洗濯洗剤、シャンプー等の匂いを嗅ぐ。しない。

鼻を近づけ無理にかごうとすると、鼻の奥に何かの刺激は感じるが、ごく軽く嘔吐感に似た気持ち悪さが残る。

食事が美味しくない理由がやっと判った。

看護師にリモートで報告。食欲はあるかと聞かれ、朝食昼食共に完食したと返す。

経過を見守ろうという話に落ち着いた。どうすることも出来ないのだろう。

嗅覚以外、体調は普段に戻った。

ホテル提供の映画をテレビで鑑賞、洋画も邦画もつまらない。

興味のあった「ジャンクヘッド」がリストにあったのでラッキーと思って鑑賞。

期待していたほどではなかった。

持ち込んだノートパソコンでYouTubeを観る。こっちの方が面白い。

沢山のお金を使って制作された基本有料のコンテンツより、ネットに繋がってさえいれば無料で観れるコンテンツの方が面白い。複雑な気持ちになる。

同記事を書き始める。12時過ぎまでキーボードを叩く。


10月14日

朝7時前に体調チェック。やはり嗅覚が麻痺したまま。

内線で明日退所の許可がでる。体調の急変等がなければ、明日午前中に家に帰れる。

すること無し。でも昼寝は我慢する。夜眠れなくなるから。

昼過ぎに退所時間と仕方について連絡がきた。

「ガニメデの優しい巨人」は読了してしまったので、続編「巨人たちの星」を読み始める。

本とパソコン、持ってきてよかった。

コーヒーを淹れる。ちっとも美味しくない。ちょっとショックだ。

失って初めてわかる「匂い」のありがたさ。


10月15日

朝、体温、酸素飽和度、脈拍数に異常なし。

これなら隔離生活から無事解放されるだろう。

朝食も残さずたべた。やはり匂いがしない。

身支度をする。使ったリネンは所定のゴミ箱に廃棄した。

約束の時間になったのでロビーに降りて、スタッフの方々にお礼を述べ、外に歩き出した。

電車に乗って家路へ。

今日は土曜日だが帰ってみると誰もいなかった。

洗濯を終わらせたら、昼少し前だった。

そばを湯でた。嗅覚は何時戻るのか。時間がかかりそうだ。

昼食後妻帰宅。

近所の河原へ散歩に出かけた。

陽の光を沢山浴びて、外の空気を深呼吸した。



以上が僕のコロナ感染体験記です。

世間では弱毒化しているとか、世界的に見てコロナ渦は終息していると言われています。

社会全体ではそうなりますが、個人に落とし込んでみると未だ辛い現実があります。

今回の治療費と宿泊費、食費は無料でした。

最後に、助けていただいた医療関係者、宿泊所スタッフの皆さんに感謝申し上げます。

ではまた。

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